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そもそも狩人とは何か? ここに一つの答えがある。 そしてその答えとはただ一点、『噛みを防げる』ということだ。 吊りが増える、役職を守れる、というのはその『結果』なのである。 時には狂や狐を護衛してGJを出してしまうこともあるし、狼を護衛して狐噛みを誤認することもある。 しかし時には圧倒的に村を優位に立たせることすらある。その力は実に不安定なものだ。 だが、その存在は『占いの次に狼の脅威である』とはっきり言える。 まー、占いみたいに表に出て勝敗を決める役職ではなく、舞台裏で勝敗を決める役職ってことだな。
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設問1 奇数の数列を 1|3,5|7,9,11|13,15,17,19|21,…のように、第n群がn個の数を含むように分けるとき、(1)第n群の最初の奇数、(2)第n群の総和を求め、(3)301が第何群の何番目に並ぶ数か答えよ。 設問2 自然数1、2、3、……を、図のように並べる。(「図」は、動画を再生するとすぐ出てきます) (1) 左からm番目、上からm番目の位置にある自然数をmを用いて表せ。 (2) 自然数nをn=k²+l(kは負でない整数、1≦l≦2k+1)と表すとき、nは左から何番目、上から何番目の位置にあるか。k、lを用いて表せ。
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設問1 平面図形 定直線XY上と、その上にない2定点A、Bが直線XYに関して同じ側にあるように与えられている(ただし直線ABと定直線XYは平行ではないとする)。直線XY上に2点P、QをPQ=a(一定)となるようにとり、AP+PQ+QBを最小にするには、P、Qをそれぞれどのような位置にとればよいか。 設問2 空間図形 2点(0、0、1)、(2、2、5)を直径の両端とする球面をS1、2点(-1、0、3)、(3、4、1)を直径の両端とする球面をS2とし、S1、S2の交わりの円Cの中心と半径を求めよ。
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日本組織の本質的問題点 太平洋戦争での日本軍の敗北の理由が、圧倒的な国力の差に因るものであることは明白である。しかし授業で扱ったように、日本軍という軍組織が持つ数多くの問題もあった。軍司令部には大戦略どころか戦術すらなく、また決して迅速とは言えない意思決定や、海軍と陸軍の対立、戦闘結果からのフィードバックのなさ、などそれは多岐に渡る。もし、この軍組織の持つ問題点が改善されていたならば、もう少しアメリカと戦う事ができたかもしれない。戦後、日本社会は大きく変わった。西側諸国として経済成長を成し遂げ復興した。現在、世界に進出する企業は数多く、経済戦争という名の戦争に勝ち抜かなければならない。今回のレポートを書くにあたり、このような観点から日本型組織の意思決定の遅さなど日本企業の持ちやすい問題点を指摘することは十分可能であると考える。しかし、長引く不況の影響などもあり、既に日本型企業の問題点等の研究は多くなされているだろう。そこで私は敢えて今回別の視点から書いてみることを試みた。 日本には最近耳にする機会も増え、2004年流行語にも選ばれたある深刻化している問題がある。“ニート”問題だ。ニートとは職を持たず、また職に就こうともしない、かといって学生でもなく家事もしない、そんな若者たちをまとめて差す言葉であり、近年この言葉に当てはまる人が増えているのだ。原因は多く考えられるが、求人の減少や若者の意識が主な要因となるだろう。高校は卒業する、だが高卒採用の求人は少ない。希望する職種でもない。たとえ就職しても自分に合わずすぐに辞めてしまう。しかし経験や技量のもたない新規雇用は新卒以外に多くなく、就職をあきらめ働かずに毎日を無意味無気力無目的に生きるようになってしまう。 彼らに、またニートへの入り口にいる予備軍に、共通するであろうことは長期的ビジョンの欠如だ。最終的にどう生きたいのか、何をしたいのか、老後の暮らしはどうするのか、そういった“人生”を考えることなく、朝起きるのが面倒、今楽しみたい、と言った超短期的ビジョンで行動していることだ。そして、長期的ビジョンが定まることなく若い時代の時間を失っていくのである。これは日本軍における明確な戦略目標の欠如と通じている。最終的に何をすればいいのかではなく、今これをするという、その“する”ことが目標になってしまっているのである。戦後半世紀を経て、日本型組織の悪しき部分の一部は、どうやら一般個人の思考にまで入り込んだようだ。また長期的見通しのなさから、行動は場当たり的となり、職に就いたがやめてしまった、辞めた後のことは特に考えていない、といった無計画な行動が多くなる。そうしてニートとなった彼らは徐々に無気力さを増してゆく。場当たり的情緒的な判断はまさに合理性や有効性を欠く判断を多く下した日本軍軍令部と通じるのである。 ここまでは“ニート”個人を主にして論を展開したが、ここからは学校や会社といった組織がニートの大量発生とどう関係しているのかを中心に展開し、日本軍との関連性、日本的組織の問題点を改めて探る。90年代に入り、日本は大きな変革を迎えた。戦後の大幅な経済成長は止まりバブル経済が破綻した日本は大変長く厳しい平成不況へと突入した。その中で企業はどうにか業績を回復しようと努力した。その結果、戦後築かれてきた日本的な雇用関係は一般に大幅な改革を受けた。新規採用を多くの企業が見送ったり大幅な縮小を行ったりする事態になり、たとえ新卒であろうとも職に就けない人間が多く生じた。反対にアルバイト・パートといった労働者の雇用は増え、社員として職に就かず、アルバイトを主に行う若者“フリーター”の増加となった。アルバイトは定職といえず僅かなきっかけで転職、また離職してニートになることも多い。そう、一部のフリーターはニート予備軍であろう。また、雇用方針も大きく変わりはじめ年功序列・終身雇用といった日本的雇用システムは改革され変化した。その結果、即戦力社員が求められ、社員教育を行う視点が減少した。また雇用数も減少し若い社員の負担は増え、就職しても数年で離職してしまう若者が増加する事となった。これは若者の職への自信の喪失などに結びつきニートの増加とも結びつきが強い。 このような企業の戦略は果たして長期的視野に立っていたのだろうか。日本の企業は不況の中、一般に日本型組織からの脱却を目指したように思う。遅い意思決定は、情勢変化の早い世界で通用しない。迅速な意思決定、徹底したコスト削減など欧米型企業の理念を取り入れ、組織を改革した。終身雇用の崩壊もこの一部だ。だがそれ自体が日本型組織の問題なのではないか。長期的視野を持たない改革。これが大きな問題なのだ。今、少し改善される。小手先に欧米的にすればひとまず業績は回復する。確かにこれは事実だがその先の経営はどうなるのか。長期的ビジョンのなさ、“とりあえず”的な対処などは日本軍と重なり日本的な関連があるのだろう。また、企業だけでない。政府による改革も同様である。2004年10月院予算委員会で共産党大門実紀史議員は一九九五年と二〇〇〇年を比べて「ニート」が大きく増えているのは高卒・大卒時であることを示し、「大企業が正社員の新規採用を減らすなど雇用環境を悪化させたのが最大の原因だ」と指摘した。それに対し尾辻秀久厚労相は、企業の要求が高度な技能、知識を要する人材とパート・アルバイトという「両極端に分かれている」と答え、大門氏の指摘を認めている。さらに大門氏は「当面企業の利益は上がっても、熟練能力のある若者が減り、日本の経済を基盤から崩していく」とし、大企業のリストラ・不安定雇用化を支援している政府の「構造改革」路線を批判した。またドイツ、フランスなどと比べて貧弱な日本の職業訓練の実態を示し「これで雇用が増えるわけがない。構造改革路線に責任がないなどといえない。まず政府の職業訓練制度を充実させるべきだ」としている。このようにニートの増加には、長期的視野を欠いた政府・企業といった組織の改革が関連している。 さて、個人・組織、両面からニートと現代社会についてみてきたが、どうやら、日本の組織の問題点は長期的ビジョンを持たないことにあるようだ。思えば、高度経済成長時代に日本では利益追求の弊害として全国津々浦々で公害が発生した。長期的視野があれば防げたのではないか。確かに長期的視野を持つ事は非常に難しい。だが、長年に渡り、企業が成長を続けるには長期的視野が必要だ。米国スタンフォード大学のジェリー・ポラス、ジェームズ・コリンズ教授はビジョナリーカンパニーという経営理念を提案している。長年に渡り一流でいる企業を多く研究した結果、その理由が「基本理念」にあるとし、企業は最大の利益を求めがちだが、長期的な目標を持つ企業のほうが一流であり続けるとした。また一流であり続けている企業には、大きな目標を立てていることや、進歩へ意欲をもつことなどが共通項として存在しているとした。このように長期的視野を持つ事が日本の多くの企業に求められるだろう。現代社会の流れは急激に速くなっている、次の時代だけではなく、次の次の時代まで見通す力、これが必要であり、早急に持たなければ、今のままでは、ニート人口は拡大することになるだろう。さらにいずれまた新たな改革の弊害が生じるかもしれない。 ここまで書いたとおり、日本軍と現代日本社会の持つ共通の問題点、それは即ち長期的視野のなさ、大きな戦略的目標のなさであると結論付ける。このレポートを書くにあたり、新たな側面から日本軍と現代を結び付け、それを提言することを私の大きな目標とした。それは危ういながらも達成されたように思う。だが、試験勉強や他科目提出物に追われ、日程的にはどうも長期的視野を持っていたとは言えないような。 参考文献 フリーターとニート:小杉礼子/編 勁草書房 ビジャンリーカンパニー~時代を超える生存の法則~: ジェリー・I・ポラス、ジェームス・C・コリンズ/著 山岡洋一/訳 その他新聞・インターネットなど。
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発見ミッション 【番外編】No.23 太陽に身を焦がす 辺境星系の恒星内で出会った偉大な存在との戦闘の証。 長い旅を終えた私の胸には…。 開発にこのトレジャーが必要な機体 ニヴルヘイム級 マッド・フォレスト3 トレジャー:地球連合軍一覧に戻る トレジャー:グランゼーラ革命軍一覧に戻る
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設問1 (1)半径10cmの円がある。毎秒1cmの割合で円の半径が大きくなっていくとき、円の面積の10秒後における変化率を求めよ。 (2)地上から真上に初速度49m/秒で投げあげられた物体のt秒後の高さhはh=49t-4.9t?(m)で与えられる。この運動について次のものを求めよ。 (ア)6秒後の速度 (イ)最高点に達したときの高さ (ウ)地上に落下したときの時刻と速度 設問2 a≦x≦a+3において、関数f(x)=x^3-3xの最大値及び最小値を求めよ。
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《清楚の本質 姫小路秋子》 キャラクターカード コスト6/黄/CP6000/ランク1 特徴なし ボーナスアイコン RANK+1 [コネクトアタック(5)] [メイン/自分]《宣》自分の「姫小路秋子」1枚は、 ターン終了時までランク+1を得る。その場合、このターン、 そのキャラは、コスト2以下のキャラには妨害されない。 それにしても、お兄ちゃんは大胆になりましたね……! お兄ちゃんだけど愛さえあれば関係ないよねっで登場する黄色・特徴を持たない姫小路秋子。 コネクトアタック5と、自分メインフェイズ時、姫小路秋子1枚にランク+1を与え、コスト2以下のキャラに妨害されなくするテキストを持つ。 2013年07月12日付の今日の1枚として公開された。 関連項目 姫小路秋子 収録 お兄ちゃんだけど愛さえあれば関係ないよねっ 01-002 SR
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「本質」におよそ照応しない場合、上述の箇所によれば、これは人々がじっと耐え忍ばざるをえない一つの避けがたい不幸だ、ということになってしまう。もっとも、これら幾百万のプロレタリアや共産主義者の側はまったく別様に考えていて、やがて彼らはそのことを実践的に、革命によって、自分の「存在」を自分の「本質」と合致させる時に証明するだろうが。こういうわけで、フォイエルバッハはそうした例外の場面に出合うと、人間界については黙して語らず、そのつど外的自然に、しかもまだ人間たちに支配されていない自然なるものに逃げ込む。ところが、新しい発明のたびごとに、産業の進歩のたびごとに、この未支配の地域は一片また一片と新たに剥ぎ取られていき、こうして、フォイエルバッハの同趣の諸命題の〈証明〉例証となるものが生育する地盤はますます小さくなっていく。一つの命題に絞るなら、魚の「本質」は魚の「存在」たる水である。川魚の「本質」は川の水である。しかし川の水は、その川が工業に従属させられるや否や、l川が染料その他の廃物で汚染され、蒸気船が運航する〈ようになる〉や否や、そして川の水が掘割へ引かれて〈人が流れを変え〉、人がただ排水するだけで掘割の魚から生存媒体(本質としての水)を奪えるようになるや否や、水は魚の「本質」たることをやめ、もはや魚にとって不調和な生存媒体となる。 この種の矛盾をすべて避けがたい異常だと言明すること、現状に不満をもつ人々に聖人マックス・シュティルナーが慰めを――つまり〈異常は彼らの〉この矛盾は不満をもつ人々の自分自身の(所有する)矛盾であり、この窮状は自分自身の窮状なのであり、彼らはそれに甘んずることもできるだろうし、彼ら自身の反抗心を胸にしまっておいてもよいし、空想的な仕方でそれに反逆してもよい、という慰めを――与えてくれるのと根本は違わない。同様にまたそれは聖人ブルーノの叱責――この不幸な環境が生じるのは、当人たちが「実体」の汚泥にはまりこんだままで「絶対的自己意識」にまで前進していないからだ、この悪しき諸関係を自分たちの精神の精神として認識するに至っていないからだ、という叱責――と大差ない。 「本質」と接することで不満や窮状がなんとかなるわけではないよ、という箇所。 しかし、マルクスが引く様に、フォイエルバッハが能天気だったかというと、ちょっとわからない。
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目次 1.物質 2.幽体 3.霊体 4.光子体 5.光神体 6.神体 6.神体 さて、この七次元の菩薩界を去ってさらにこの光神体を脱ぎ捨てて、八次元の如来界に入った場合の存在形態について話をしていきたいと思います。 この八次元は、すでに神の世界といっても過言ではないでしょう。この如来界の世界というものは、ひじょうに優れた人びとの存在の集まりであるわけです。したがって、八次元の如来とは、もうこれは人間でないといってよいでありましょう。如来界の人間が地上に出るということは、神が地上に出ておるということとほとんど同じであります。なぜならば、如来の条件は、神の心を心として生きることができるということだからです。これが如来の条件であります。 したがって、その如来の体は、もちろん金剛身であるということも可能でありますが、統一ある呼び方をするとすれば、これを神体、すなわち神の体と称することも可能でありましょう。 つまり、如来の生命エネルギーは、すなわち神の生命エネルギーとほぼ同一だということであります。如来というものは、神の生命エネルギー、活動エネルギーを直接に受けておるというふうに言うことができると思います。 そして、彼らは神のエネルギーを受けておるそうした水道管、動脈であります。大きな動脈の一本一本が如来であります。 すなわち如来という人間的存在があるわけではなくて、如来というものは体を駆けめぐっておる動脈、これにすぎないということですね。神が創られた世界をいろんな血管が網羅(もうら)しておるわけでありますが、如来というのはこの神の血液を送り出すための動脈であります。右手に流れておる動脈、左手に流れておる動脈、胴体に流れておる動脈、あるいは、左足、右足、いろんなところを流れておる動脈があります。如来というのはこの動脈にあたる部分ですね。この動脈からさらに小さな血管へと分かれていくわけです。そして、神の世界すべてのところに栄養素、神の栄養、神の光が流されていくわけです。 したがって、この神体でもって生きておる人間の生き方というものは、神そのものであるということであって、彼らは名実ともにもはや神であります。ただ、地上に何度か転生輪廻をして、出て来た経験があるがために、地上の人間を指導する時には、人間的な感覚と人間的な思考でもって人びとを指導することはあります。ただ本質はそうしたものではないということです。 我もまた、今から三千年近い昔、かつて日本に降りたことがある者です。日本の九州に肉体を持って生まれたことがあります。ただ、そうした個性ある存在ではあるけれども、それは天之御中主の一部分というか、人間的なる部分であって、それは本来のわが実相ではない。私の本当の姿は、神の主たる動脈の一本であって、その個性ある血液を送り込んでおるその主たる動脈であります。これが私の姿であって、そうした人間のように、両手両足があるような姿が私の姿ではないということです。 すなわち、動脈であります。神のポンプであります。まあ水道管の中のいちばん太い水道管、こういうふうに言うことも可能かと思う。なぜならば、わが霊的エネルギーを受けておる者は、この日本だけでも一億二千万の人びとがおるわけであります。 またその霊的な小枝から、エネルギーを吸い取っておる者はさらに数多くいるわけであります。何億もの人びとに神の霊的血液としてのエネルギーを放射しておるわけであります。こうした神体としての役割があるわけであります。 さらに、この八次元の如来界の上には、九次元という世界があるとあなた方は知っておるはずであります。救世主の世界であるとか、あるいは宇宙界の世界であるとか、いろんなことが言われておりますが、彼らは、我らをたとえば大きな動脈だとするならば、この九次元神霊の存在というものは、言わば心臓のポンプそのものであります。神の血液を送り出しているところであります。こうした心臓の役割をしておるのが、九次元の神霊であるということであります。 したがって彼らは本来、人間的な姿をとってはいないのです。地上の人を指導する時にそれらしき個性を出すことはあっても、それは彼らの本当の姿ではないということを知らねばならない。目に見えるように言うとすれば、心臓であります。そうした特色ある心臓が何体かあるわけであります。そしていろいろな動脈に血液を送り込んでおる。これが彼らの九次元的存在の役割であります。 こうしたものであって、彼らはそれぞれ大いなる光の発電所であり、光の吸収所であります。神よりの光を吸収し、これを動脈に流していく。神のエネルギー、霊的エネルギーを、霊的血液を吸収してこれを動脈に流していく。そういう心臓ポンプの役割が、九次元神霊の役割とされております。 したがって、九次元神霊の姿というものを霊的に透視するとするならば、巨大な巨大な心臓があると思ってよい。その心臓からは、さまざまな管(くだ)が出ておる。そしてその管がいろんなところに流れていって、エネルギーを送り出しておる。こうした姿であるわけであります。まあこういうふうに言うことができると思う。 このように、我らが生活しておるその姿というものも、物質たる肉体から始まって、幽体、霊体、光子体、光神体、神体、このようにさまざまな形態、本質的なる形態へと進んでいくのである。 これは結局のところ、本来融通無碍(ゆうずうむげ)であり、固まらないそのエネルギー体、とらわれのないエネルギー体が、いろんな包みをかぷっておって、個性化が進んできたということにしかすぎない。 本来神のエネルギーそのものには個性はない。本来無個性、本来尽十方無碍光(じんじゅっぽうむげこう)如来の光であり、遍(あまね)く照らすエネルギーにしかすぎないのだけれども、このエネルギーをどのように包むかということにおいて、その個性の差が現われてくることとなる。その包み方によって現われ方が違ってくるのである。こういう包み方という個性を出すために、いろいろなこうした霊的な体というものが必要となってきたのである。 したがって、神の自己顕現の現われ方というのは、どういうものかというと、本来光そのものである神は、その光を遍く放射するのみでなく、その光を個性化するということを考えられたということだ。したがって、その光を個性化する方法として、神体、光神体、光子体、霊体、幽体、肉体というようなこうした段階別の包みを用意した。その包み方によって、さまざまな個性を出した。まあこういうふうに言うことができると思う。 これはたとえば、正月の餅(もち)で考えてもよい。本来のエネルギー体は形なきものであるけれども、これを三角餅としたり、四角い餅としたり、丸餅としたり、さまざまな形を作っていくであろう。そうしたものだ。本来はひとつのものであるけれども、それは形をとる過程において個性化してくるのである。 そしてその形のとり方を幾種類にするか、幾様にするかということで、高級霊たちが今まで苦心してきたのである。このように考えていけばよい。 まあ以上で、第三章の「生命の本質」という話を閉じるわけであるけれども、生命の本質というものは、本来そうしたとらわれのないものであり、そして、この地上に現われているものをもって、実相としてはならんということである。 実相という意味においては、霊体をも実相ではないということを知らねばならん。霊そのものも実相ではないということ、霊そのものも本来の実相に形を付けたものにしかすぎないということを知らねばならん。 本来無個性、しかし、それが形ある姿をとることによって、個性というものを得るのである。本来、つきたての餅というものに形はない。それを丸餅、角餅、いろんなものを作ることによってさまざまな味わいが現われ、楽しみが現われるのではないか。 それが世界が存在し、世界の中にさまざまなエネルギー体が霊として生活しておる喜びではないのか。そのように考えればよいと思う。そこに生命の本質があるということだ。以上でもって今日の話は終わりとする。
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autolink 本質の管理人/Essence Warden (緑) クリーチャー ― エルフ(Elf)・シャーマン(Shaman) 他のクリーチャーが戦場に出るたび、あなたは1点のライフを得る。 1/1 《本質の管理人/Essence Warden》をGathererで確認 《本質の管理人/Essence Warden》をGoogleで検索 《本質の管理人/Essence Warden》が使用された大会 取得中です。 カードテキスト転載元:Wisdom Guild様 2012 / 10 / 01